日本人はいつの間にか恥の文化の中で、生き続けています。クリスチャンになっても、その思いの領域でその文化に影響されていることがあり、この世を否定するという考えの中に、自分と言うユニークな存在も一緒に殺してしまっている傾向が強いです。

 

Scool of Jesusは一人一人がイエスさまと出会う場所ですが、それは自分否定からではなくて、むしろ自分がどのように造られているかを知り、それを生かすことを通して起きてきます。これは花畑の持ち主と似ています。花畑の主は、どこにどんな花を植えるようか楽しみながら配置を考えるものです。季節について、また香りやときには食用として使えることも頭に入れながら種を撒いて行きます。

 

その撒かれた種は、それぞれの独特な香りや花を咲かせることで、その花畑の主を喜ばせるものですが、人間も同じです。天のお父さんは、僕たち一人一人にユニークなデザインと働きを与え、日本人としてこの国に置いてくださいました。

 

キリストに似た者とされるという表現がありますが、それは自分が完全にいなくなるものではなく、むしろ自分が与えられた表現を通してキリストの香りが天に向けられていくことだと信じています。

 

私たちがキリストに向かうときに、自己に死ぬのです。その反対ではありません。自己に死のうとすると反対に自意識が過剰になり、キリストから離れてしまいます。わたしたちはキリストと生きるときに、わたしたちの自我が死に、そこに命が流れます。

 

School of Jesusでは、一人一人がイエスさまから与えられたユニークさと働きを見つけ、それを体験することを励まし、助ける場所です。一人一人がその与えられた表現を見つけ出し、その中でキリストと出会う時に、私たちはますますイエスさまと似た者になっていきます。

 

 

 

 

 

 

 


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